垂仁帝の二十七年の秋、ヤマトヒメ異しき声を聞かれて、大に怪しみ、大幡主命を遣わし、これを検せしめけるに、その地にかべいを生じ、一茎にして数十種、また白鶴ありてこめを含み、志摩の国伊雑の原に至るを以て、ヤマトヒメはさいかいして、人を遣わし、そのこめを抜きてこれを大神宮に奉り、また大幡主の女乙姫に命じて酒を醸さしめ、これを神に奉られたり、云々。
これがすなわち、神にぎょせんを進めた最初であり、米をもって酒を醸した初めでしょう。

この造酒に、米を用いたことは、記紀風土記にも見られます。
古代から酒の原料に米を用いたらしく、醸造した酒は専ら祭神に供し、その余れるものを、酒宴などに用いられたものらしい。
然るに、この古代の醸造奉を一変し、あたらしい醸造法を伝えたのが百済の人すすこりです。
すすこりの醸造したお神酒が従来のものに比べ、醇良であったことがうかがえます。